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おなづか小学校
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沿革

更新日:2018年11月6日

女塚の伝説

 今から600年ほど前に、村の人たちが手厚く新田義興の侍女・少将の局を葬り、塚をつくりました。それで、女塚という地名が生まれたといわれています。

おなづか小学校ができるまで

 蒲田で一番古い学校は蒲田小学校です。 女塚村、御園村、北蒲田村の三村が一緒になって、 今の蒲田小学校の前身の稗田小学校をつくったのは明治12年でした。 その後、人口が増えて大正14年に相生小学校ができました。 相生小学校の名前は御園村と女塚村の「相方の顔を立てる意味」で 相生小学校と名づけられました。 そして、また子どもたちの数も多くなり、 昭和11年5月にわたしたちの女塚小学校が女塚の地にできたのです。
おなづか小の学区域は校章の「がまのほ」に見られるように、低地のために古くから水田が開かれていました。しかし、耕地整理が十分に行われず、15年まえくらいまでは細い道が多く残っていました。学校周辺には、大きな通りもなく住宅、アパ-ト、駐車場が混在し、大城通りと学校の前を通る女塚通りが商店街を形づくっていたのです。また、六郷用水逆川跡もあり、地域の人たちの憩いの場となっていました。東側には呑川が流れ、池上と境をなし、西側は東急池上線までが学区域となっています。地域の人たちは、学校を共通の心のより所として愛し、大切にしています。 平成13年10月3日には、開校65周年のお祝いをしました。平成17年4月には、蓮沼小学校と統合して、大田区立おなづか小学校となりました。

区域

西蒲田一丁目から四丁目の全部、池上五丁目の一部

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おなづか小学校

住所:〒144-0051 大田区西蒲田一丁目19番1号
電話:03-3753-2615
アクセス
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